赤川次郎
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受賞作選出までには、かなりの議論があった。
まず小説として最も破綻が少なく、よくまとまっていたのは門脇さんの「サンザシの丘」であった。細部まで取材も行き届いている。ただ、取材したことをすべて説明しようとするあまり、かなり不要な部分も目についた。一番の問題は既存の名作と、あまりに似過ぎているということである。この作品が独自の存在であると主張するには、どこかに新しい視点、工夫が必要だ。主人公のパニック障害を起す刑事のキャラクターが面白かっただけに残念である。
南藤さんの「赤心人ヲ殺ス」は吉良上野介を探偵役にした歴史物だが、ともかく文体があまりに難解で読み進むのが容易でない。エンタテインメントである以上、まず読者に理解されることを心がけて欲しい。
児島さんの「アルゴリズムの鬼手」は将棋のプロの世界を描いた作品。コンピューターソフトを使って相手を負かして行く棋士が主人公だが、肝心の試合中にどうやってソフトを利用するのか、納得の行く説明がない。一番のポイントが欠落していては評価のしようがない。また棋士の性格について、全く同じ記述が何度も出てくるなど、小説としてあまりに未熟。
結局、新井さんの「ユグノーの呪い」を受賞作とした。ヴァーチャルリアリティの世界を探検する主人公という設定は面白く、特に前半では時と場所を超えたイメージが新鮮に感じられた。ところが後半はアクション物に変質してしまう。この前半との落差は小さくないが、今後の精進を期待して、受賞作とすることに同意した。
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大沢在昌
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選考委員として本賞に携わるのが最後となる今回、考えざるをえない問題があった。それは、応募作における「志」である。
「サンザシの丘」
取材もよくなされている。派手さはないが破綻もなく、手がたい社会派刑事小説で、完成度は候補作中随一、といってよい。ただし、誰もが知る名作に作品構造が似すぎていた。明らかに現代版のカバーというか、リメイクを狙ったかのような印象がある。といって、剽窃や盗作というのとはちがう。要は「志」なのだ。新人がデビューするのに、過去の名作をカバーした作品がふさわしいかどうか、という問題である。
選考会はふさわしくない、との結論に達した。書ける人であろうから、次回はぜひオリジナリティの高い作品で応募していただきたい。
「赤心人ヲ殺ス 寛文上杉家連続殺人事件」
作者の意図を汲みとるのが難しい作品である。古風な文体でつづられた現代部分から一転して、時代小説部分には奇妙な言葉づかいが頻出する。あまりに凝りすぎている、そんな印象をうけた。時代小説なら時代小説で、よりストレートな書きようがあったのではないか。
「アルゴリズムの鬼手」
棋士の世界をそれなりにおもしろく描いてはいるが、描写にくり返しが多く、読む者をげんなりさせる。またコーヒーカップを倒した死者がいるというだけで「毒物死」を考える人間はいない。ふつうは病死を疑う筈だ。さらに物語の根幹といえるコンピュータ「宗歩」の形状とその使用法が説明されないのは致命的である。作者はミステリの基本というものを考えてみるべきだろう。
「ユグノーの呪い」
独自の着想があり、読み始めてすぐ、おもしろい、という印象をうけた。ただ後半部にさしかかると物語が乱暴になる。アクションシーンにおける主人公の極端な強さ、真犯人の動機の弱さと犯行手段の回りくどさも気になった。作者は腕力のある人と見た。受賞を機に、それをうまく伸ばしていっていただきたい。
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北村 薫
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今回は異色の三作と、古典的な作風の一作が候補となった。
「赤心人ヲ殺ス?寛文上杉家連続殺人事件」は、題材に特色があった。しかし、長編とするには、中心となる謎が小さ過ぎた。また、文章にも問題があった。歴史ミステリの醍醐味は小気味よい解釈の冒険を行うところにある。その点でも、不満が残った。「アルゴリズムの鬼手」は、最もすらすらと読めた。しかし、物語の中心となる必勝装置について説明不足である。お話だからこそ、そういう点を納得させてほしい。殺人事件も、ミステリにするために付け加えたように思えてしまう。もし、これで殺人以外の、この装置に関係する面白い謎を設定し、巧みに解決できていれば、魅力的な作品となったろう。
「サンザシの丘」は、これらの作品の後に読むと、ごく普通のミステリである。そこに安定感があった。しかし、読み進むにつれ、不満も出て来た。例えば、平沢は「城島は生きているのではないか?」という疑問の形で、警察に訴えるはずだ。劇的な場面を作るために無理をしたのではないか。 ??この作品と、続く「ユグノーの呪い」は、共に先行する映画の影響について、選考会で論じられた。この作品で使われている筋立ては、はるか昔からあるもので、それ自体に問題はない。ただ肝心のクライマックスが、橋本忍・山田洋次脚本、野村芳太郎監督の映画版『砂の器』と、不幸にも似過ぎていた。故意とは思わないが、ここは減点せざるを得ない。「ユグノーの呪い」の設定にも、複数の洋画を連想させるところがある。しかし、そこから繰り広げられる物語には、独特の味がある。トラウマを克服するための、言葉の謎解きも面白い。心の中のフィレンツェ市内を、現代の日本の女子高校生が通って行くなどというところには、たまらない映像的魅力がある。このような点から「ユグノーの呪い」を推した。
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高橋克彦
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六百枚というのは相当な分量のはずである。たいがいの物語をこの枚数内で不足なく書き終えられる。なのに今度の候補作四点、いずれにも説明不足や筋運びの慌ただしさを感じた。ではどれもが八百枚から千枚の分量が必要な物語だったかといえば、違う。むしろ四百枚で纏められると感じたものが多かった。本当にきちんと書かなければならない部分を簡単に流し、枝葉としか思えないところに力をそそいでいる。細かな書き込みが物語のリアリティに繋がると信じてのことだろうが、リアリティは確かな軸があってこそのものだ。長大な物語が歓呼の声で迎えられている現在の弊害と言えるかも知れない。本筋から離れた主人公の地味な暮らしぶりや背景の説明に多くの頁が費やされている。それが小説の魅力と勘違いしている。新人なら直球勝負を挑んで欲しかった。物語の破天荒さや奇抜さこそを前面に押し出して貰いたかった。たとえば「アルゴリズムの鬼手」だ。どれほど緊張や起伏があっても、肝心の将棋ソフトの使用法が曖昧では話にならない。「赤心人ヲ殺ス」にしても、これだけ歴史に精通しているのならもっとだれもが承知の大事件にメスを入れるべきだ。「サンザシの丘」は力作と評価できるが、いくつかの問題点があった。欠点による消去法で「ユグノーの呪い」に落ち着いた。私はこの作品に最高点をつけていたので結果に文句はないけれど、堂々の入選作とも言いがたい。これだけは確かに枚数が足りなかったのだと思う。後半がばたばたと閉じられていく。人民の蜂起という大事な場面がまったく描かれずに終わった。前半の圧倒的なアイデアで数歩抜け出し、息切れしながらもなんとか一着でゴールインしたという感じだろうか。しかしそういう運も大切である。今後は制約を気にせず自在に枚数を用いて頑張って貰いたい。
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第8回日本ミステリー文学大賞新人賞は応募総数百五十二編の中から、第一次〜第三次予選を行ない、二〇〇四年十月二十八日午後四時より、第一ホテル東京において開かれ、選考委員による審査の結果、『ユグノーの呪い』を受賞作と決定いたしました。 |
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●第10回日本ミステリー文学大賞
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●日本ミステリー文学大賞 新人賞
募集要項
●第9回日本ミステリー文学大賞
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